石見銀山HP 


所在地島根県大田市大森町
アクセス東京・大阪から飛行機(約1時間)→出雲空港(空港バス25分)→JR出雲市駅へ 
JR出雲市駅(電車30分 山陰本線) →JR大田市駅下車(石見交通・JR バス20分・大家行き又は祖式行き) →代官所跡下車


私の故郷は数々の伝説と歴史に彩られロマンあふれる町です。

間 歩・・・  銀鉱石を採掘するために掘られた坑道

銀山史

 石見銀山は14世紀始めに発見されたと伝えられていますが本格的な採鉱は大永6年(1526年)

 博多商人神屋寿禎が入山した頃からです。

 日本に灰吹法と呼ばれる当時最新の銀精錬法が伝えられると石見銀山の産銀量は増大し、

 世界の銀山の中でも重要な位置を占めるようになりました。
     
 戦国期には大内、尼子、毛利などの戦国大名によって争奪の的となりました。

 慶長五年(1600年)関が原の戦いの後、徳川幕府の直轄地となりました。

 産銀量が最も多かったのは17世紀初頭とみられ、その後次第に減少しつつも末期まで操業し続け、
 明治時代に入ると民間経営により銅も産出していましたが、大正12年(1923年)休山となりました。

石見銀山略年表

1526 大永6 博多の商人神屋寿禎、石見銀山の開発を始める
1533 天文2 灰吹法による精錬開始、この頃より朝鮮へ多量の銀が輸出される
1542 天文11 鶴子銀山(佐渡)、生野銀山(兵庫)発見される
1562 永禄5 毛利元就、石見銀山を直轄地とする
1600 慶長5 関ケ原の戦い後、徳川氏が領有
1601 慶長6 大久保長安奉行となる
1602 慶長7 毛利氏と豊臣氏が共同管理する。年産4千貫(15トン)の銀を産出する
(第2次シルバーラッシュ 1596年〜1615年)
1731 享保16 井戸平佐衛門着任
1733 享保18 さつまいも植え付け奨励。井戸平佐衛門没
1800 寛政12 大森大火。大半が消失
1866 慶応2 長州軍が大森へ進駐。周辺で一揆起きる
1869 明治2 大森県が置かれる(8月から明治3年1月まで)
    民間による採掘が行われる
1887 明治20 大阪・藤田組による経営開始
1895 明治28 清水谷精錬所完成
1923 大正12 経営不振で休山
1942〜43 昭和17〜18 銅採掘を試みるが水害、閉鎖
1956 昭和31 大森町、大田市に合併
1957 昭和32 大森町文化財保存会結成
1967 昭和42 「石見銀山遺跡」県指定史跡となる
1969 昭和44 「石見銀山遺跡」国指定史跡となる
2000 平成12 石見銀山遺跡が「世界遺産」暫定リスト登載決定
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